子育て・保育

子ども『扱い』は『対等』じゃないかも

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子ども『扱い』は『対等』じゃないかも

大人と子どもがいて、初めて子育てや保育が成立します。

ひと口に『子ども』と言っても、見え方は様々。

『子ども』を『子ども』として見るのか、1人の『人』と見るのか、ちょっとした違いですが受け止め方に影響が出てきそうです。

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子ども『扱い』は『対等』じゃないかも

子ども『扱い』は『対等』じゃないかも

子どもは『かわいい』なぁと、常々思います。

ただ、この『かわいい』

言い方・見え方によっては、子どもを自分と同じ目線・立場など『対等』に見ていない可能性もありませんか?

『かわいい』と思うのは凄く自然なことで、実際に僕もそう思います。

人によっては、いやいや極論過ぎる…と感じることもあるかも知れませんが、次のパートに進んでいきます。

結果として『見下している』可能性も?

結果として『見下している』可能性も?

意識している・していないに関わらず、こうなってしまっていることってありませんか?

例えば、1人でトイレを済ませることが出来たとき。

「うわー!すごい!よくできたねー!」

と声を掛けるのは『褒める』手段として、よくある光景です。

ですが、過剰に褒め過ぎたり、大げさに褒めたりし過ぎると、子どもからすると

「いや、別に普通にできるんだけど…」

と感じざるを得ないかも知れません。言葉として表現できなくても、それなりに感じるモノはあるはずです。

『かわいい』と感じたり『褒めてあげたい』という思いになったりすることは、自然な感情に近いのでそれ自体に良いとか悪いとかはありません。

もちろん『褒める』行為は、めちゃくちゃ大事です。

大事なんですが、考えたいのはその『程度』

ついついやり過ぎちゃってませんか?という話です。

「こんなに褒めてもらえるの、嬉しい!」

と感じる子ももちろんいるはずなので、その子の性格や特徴を考えた上で方法を選びたいものです。

言葉遣いに関しても、同様だと考えています。

例えば『犬』を『わんわん』と言ってみたり…ただこれも、子どもにとっては『言いやすい言葉』である場合もあるので、程度の問題だと思います。『会話が楽しい!』『言葉が伝わるのって嬉しい!』と思えることが、何より大切ですからね。

こう考えると、ひと口に『対等』と言っても難しいです…。

前提は『人』対『人』であるということ

前提は『人』対『人』であるということ

まずはここだと思います。

『大人』対『子ども』である前に『人』対『人』であるということ。

子どもが出来ないことを大人が手助けして、初めて出来るようになったとき…嬉しいですよね、きっとお互いに。そこは大いに褒めましょう!

大切なのは、程度。

反対に自分が言われたときに「いや、それは行き過ぎてバカにしてないか…?」と感じない接し方が大切です。

僕も我が子と接するとき、できるだけ大人と会話するときと同じような言葉選びをしています。

子育てが難しいなと感じるのは『今のやり方で、合ってるんだろうか…?』ということ。

我が子のために一生懸命考えて、考えたなりに行動する。

結果がすぐに付いてくるのか、数週間で付いてくるのか、数年後に付いてくるのか…それは分かりませんが、一生懸命考えていることは、子どもに伝わってくれていると信じたいです。

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